道器(どうき)とは、儒教において哲学領域(人生・世界、事物の根源のあり方)を“道”、 物質社会(目に見えている事柄全て)を“器”と称し、その両方を併せた語です。 この世は道と器という2つの概念で構成されており “道”は私たちの目に見えている“器”の根源とされています。 この"道"と"器"の境界線のあり方を追求し、道へと通じていく “界面”を化学的に探求する我々の志を込めました。

"物質社会(=器)から哲学社会(=道)を想う"
私たちは、"道"(形而上の哲学社会)を、予測することしかできず、どんなに追求しても、自然は"生きる意味"の明確な答えを教えてくれない。そこに人間は"英知"をつぎ込み、次世代に引き継いでいくが、答えには至れない。しかし、その"1人"の人生は、自分なりの納得感を持ち、死を迎えるという無常観。とすると、"予測すること"自体が"生きる意味"なのではないか。 そもそも、この世は道と器という2つの概念で構成されているならば、"道"と”器”の境界線はどこにあるのか?"界面"という言葉も、"境界線"という意味合いだが、そこに明確な境界線は存在しない。しかしながら、海は空を憧れ、空は海を想うように、そこに何かがあるような気にさせる何かがある(=界面)。どんなに考えてもこれらに明確な答えはない。だからこそ物質社会に生きる私たちは、”想いを馳せる”ことが道に至る近道なのではないか。

大切な人と、"多様な人生観に想いを馳せ、共有する時間"を。
この"道"と"器"は、人の数だけ定義があり、それぞれが想う"道"と"器"があるとされています。
多忙な現代、日常生活に埋没することが多く、"いつ何が起こるか分からない""いつ死に至ってもおかしくない"のがヒトの人生で、 安定した毎日が永遠に続くことはないと知りながら、 でもきっと明日も元気だと思い、過ごす毎日の中で、 ふと立ち止まり、それぞれの人生観について想いを馳せ、共有し合う時間を、大切な人と一緒に過ごすきっかけに道器ブランドがあれば幸いです。

販売飲食店舗
月夜のうさぎ(東京都千代田区一番町)
BAR DECE(東京都港区赤坂)

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